「羊羹」(永井荷風)

戦後復興期の小市民のおかしみ

「羊羹」(永井荷風)
(「日本文学100年の名作第4巻」)
 新潮文庫

東京の小料理屋で
働いていた新太郎は戦後、
物流の仕事で思いがけず
金回りがよくなる。
羽振りのいいところを
自慢しようと、
かつての主人に
挨拶に出かけるが、
予想に反して主人は
戦前と変わらぬ
いい暮らしをしていた…。

前回まで取り上げた永井荷風
実は私が初めて読んだ作品は
本作です。
次に「墨東綺譚」でした
(かれこれ5年ほど前ですが)。
若い頃は井荷風を
敬遠していたのです。
学生時代、
頁をぱらぱらとめくっただけで、
漢字の多さに閉口し、
棚に戻していました。

アンソロジーに収められている
本作品は、
「墨東綺譚」から10年後に
書かれたものです。
掌編であり、かなり
読みやすいものになっています。

戦争の悲惨さを描いた小説は
数多くあります。
そのほとんどは
貧しい一般人の味わった苦悩を
描いたものです。
私はそうした作品や資料に
接してきた結果、
日本国民一人残らず
戦争の悲惨さを体験したものと
受け止めてきました。

ところが本作品には、
戦中戦後、裕福な階級ほど
そんなに困らなかったようすが
描かれています。
元主人を訪れた新太郎が
相伴に預かった夕食の献立は、
あじの塩焼き、
茗荷に落とし卵の吸い物、
茄子の煮付けに香の物、
飯は白米。
物資が不足していた当時としては、
十分すぎるご馳走だったのです。

戦後、農地解放や資産封鎖等、
資産家が蓄えた財を
庶民に分散させる施策が
とられたとはいえ、
その影響はそれほど大きなものでは
なかったのかもしれません。
すべてがそうではなかったにせよ、
金持ちほど戦争によるダメージは
少なかったのではないかと
推察されます。
そうした状況が分かるという点で、
本作品は、
戦争を知らない私たちにとって
貴重であると考えます。

戦争であれ、
現代の不景気であれ、
しわ寄せを受けるのは一般人、
それも貧しい層であることに
不合理を感じてしまいます。
親の貧困は子の貧困に
直結している現代社会は、
そうした理不尽な状況が
一切解決されないままであることを
証明しています。
もっとも荷風は、
そうした社会の矛盾を
糾弾するような目的で本作品を
書いたのではないのでしょうが。

さて、拍子抜けした新太郎は、
帰り道に菓子屋に立ち寄り、
高値に手を出せないでいる
他の客を尻目に、
店で最も高い
林檎と羊羹を注文します。
そうした戦後復興期の
小市民のおかしみを楽しむ
作品なのでしょう。

(2019.2.28)

【青空文庫】
「羊羹」(永井荷風)

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